歴史・年表
時代 | 内容 |
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縄文・弥生~奈良時代 | 本町域においては、縄文式、弥生式時代の遺跡は確認されておりませんが、周辺の状況からみて、早くから人が住み、5世紀前後から、中央集権の支配下に入り、住民は一部が魚貝を朝廷に貢進する網曳、大部分が名代軽部として、農魚の生活を続けていたと考えられます。 その後、大化の改新により里制が敷かれ、本町域は軽部里に属することとなりましたが、霊亀元年(715年)郷里制の施行によって、軽部里は軽部郷となりました。 |
平安時代まで | 大化の改新以来の制度のうち、本町域において、明瞭に遺制の認められるのは、条里制です。大化の改新の公地公民制が次第にくずれ、荘園が成立していく過程の中で、網曳御厨、宇多勅旨(宇多天皇による勅旨田)が成立し、発展して不輸不入の荘園となり、軽部郷の領域は縮小しました。これが国□領軽部郷です。 宇多荘は、応仁、文明の大乱後、変質、衰退し、消滅しました。 軽部郷南方は永享2年(1430年)久米田寺領となりました。 軽部郷北方、網曳御厨が南北朝内乱でどうなったかは不明です。 |
戦国時代 | 戦国期には、忠岡の村々は秀吉の勢力下にありましたが、現在の忠岡の基礎をなす地名が文献にあらわれてくるのは、文禄3年(1594年)検地からです。 和泉国泉郷…忠岡村(字:生帰、浜塚、道村、下村、西出、南出)、上馬瀬村、下馬瀬村、北出村、高月村 |
江戸時代 | その後、江戸時代の初期には忠岡の村々は、すべて幕府の直轄領となりましたが、その後の変遷を経て、天明6年(1786年)以降、幕末に至るまで、一橋領、小泉藩領、淀藩領として領主支配が固定しました。 |
明治時代~ | 以後、明治初期の変遷を経た後、明治22年4月1日には、町村制施行により、忠岡村と、高月村、北出村、馬瀬村が合併して忠岡村となり、さらに、昭和14年10月1日、町制施行し、現在に至っています。 町村合併の激しい我が国において、明治22年(1889年)の町村制施行以来、100年有余にわたって、町域に変更なく現在に至っているのは、極めて珍しく、本町の特徴の一つと言えます。 |
年 | 内容 |
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明治22年 | 4月 町村制施行 忠岡村となる(忠岡村・馬瀬村・北出村・高月村の4村合併) |
昭和14年 (1939年) |
10月 町制施行 忠岡町となる |
昭和16年(1941年) | 6月 忠岡幼稚園創立(復園) |
昭和17年(1942年) | 5月 町制後初の議会議員選挙実施(18名) |
昭和18年(1943年) | 8月 永福寺のビャクシンが大阪府天然記念物に指定される |
昭和22年(1947年) |
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昭和23年(1948年) | 3月 泉大津消防署忠岡出張所から自治体消防忠岡消防署に昇格 自治体警察発足 忠岡町農業協同組合(現JA)創立 |
昭和24年(1949年) |
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昭和25年(1950年) | 9月 ジェーン台風により大きな被害をうける(被災者269名 被害額7,000万円:当時) |
昭和26年(1951年) | 9月 忠岡病院開設(旧役場前) 国民健康保険事業実施 忠岡幼稚園開設 |
昭和27年(1952年) | 11月 町営住宅を建設(33戸) |
昭和28年(1953年) | 8月 忠岡保育所開設 府営南住宅建設される 自治体警察廃止 |
昭和29年(1954年) | 3月 町営住宅を建設(32戸) 府営北住宅建設される |
昭和30年(1955年) | 町の自治会が設立される |
昭和31年(1956年) | 12月 役場庁舎を新築移転(忠岡小学校横から堺阪南線横へ) |
昭和32年(1957年) | 4月 忠岡町立小学校を忠岡町立忠岡小学校と改称 東忠岡小学校を新設 |
昭和35年(1960年) | 11月 忠岡町商工会発足 |
昭和37年(1962年) | 2月 交通安全都市宣言を決議 |
昭和39年(1964年) | 8月 消防相互応援協定締結(忠岡町・岸和田市・泉大津市・和泉市) |
昭和40年(1965年) |
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昭和41年(1966年) |
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昭和42年(1967年) |
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昭和43年(1968年) | 12月 し尿処理場完成 |
昭和44年(1969年) |
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昭和46年(1971年) | 2月 公立忠岡病院を新築移転(旧役場前から現在地へ) |
昭和47年(1972年) |
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昭和48年(1973年) |
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昭和49年(1974年) |
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昭和50年(1975年) | 2月 町総合計画策定 |
昭和51年(1976年) |
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昭和52年(1977年) |
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昭和53年(1978年) | 1月 高井田公園完成 浜霊園完成 |
昭和54年(1979年) |
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昭和55年(1980年) |
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昭和56年(1981年) |
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昭和57年(1982年) | 6月 雨水ポンプ場第1期工事完成 |
昭和58年(1983年) |
3月 第2次総合計画策定 |
昭和59年(1984年) | 11月 忠岡町文化協会発足 |
昭和60年(1985年) |
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昭和61年(1986年) | 3月 緑水園完成 8月 南大阪湾岸北部流域下水道組合北部処理組合発足(62年4月処理場運用開始) |
昭和62年(1987年) | 4月 公共下水道供用開始 |
昭和63年(1988年) |
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昭和64年(1989年) | 1月 昭和天皇崩御(元号:昭和から平成へ) |
平成元年(1989年) |
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平成2年(1990年) |
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平成3年(1991年) |
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平成4年(1992年) |
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平成5年(1993年) |
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平成6年(1994年) |
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平成7年(1995年) |
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平成8年(1996年) |
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平成9年(1997年) |
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平成10年(1998年) |
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平成11年(1999年) |
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平成12年(2000年) |
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平成13年(2001年) | 4月 幼稚園3歳児保育実施 高月南三角公園開設 |
平成14年(2002年) |
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平成15年(2003年) |
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平成16年(2004年) |
4月 チューリップ保育園開設 8月 岸和田市との合併に関する住民投票実施(8月22日) |
平成17年(2005年) |
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平成18年(2006年) | 11月 東忠岡小学校創立50周年 |
平成19年(2007年) |
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平成20年(2008年) |
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平成21年(2009年) |
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平成22年(2010年) | 12月 赤井勝氏に 夢 希望 感動大賞 |
平成23年(2011年) |
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更新日:2023年03月28日